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静岡で起業した29歳の生活

静岡に住む若手起業家・ライターの行動、考えていることをつづる備忘録です。

文章が好きになった理由を振り返ってみました

安藤悟です。WEB編集プロダクションの株式会社エストリンクスの代表取締役社長をするかたわら、WEBマガジン「miteco」でライター兼編集者をしています。この仕事を始めるにあたって、文章を書くリハビリのつもりで1年半ぶりぐらいにブログを再開しました。自己紹介がてら、「私と文章」について書いてみたいと思います。

 

文章が好きになったきっかけ

小学生の頃の私は、学校の作文を必ず白紙で提出するほど、文章を書くことが嫌いな子供でした。母親は「感受性が乏しい子」と心配したらしく、白紙の作文を出したことについて私を説教しました。そして一冊のノートを私に差し出します。

 

「毎日1行でもいいから日記を書きなさい。」

 

当時小学5年生の私はPlay Stationのゲーム『ザ・コンビニ』や『ダービースタリオン』に熱中する、かわいくない子供でした。ただ、毎日書かないと母親に怒られるので、仕方なく日記を書き始めます。

 

我が家は母子家庭だったので母親は毎日フルタイムで働いていたのですが、仕事が終わって帰って来るなり、私の日記を読んでコメントや添削をしてくれました。

 

親子で会話する時間は少なかったので、毎日の日記は親子の交換日記のような役目を果たしていたかもしれません。

 

不思議なもので1,2週間も経つと、私も少しずつ文章が書けるようになります。せっかくなら母親に面白い文章を読ませようと思い、新聞の切り抜きを貼ってコラムを書いたり、漫画を読んだ感想を書いたりするようになりました。

 

将来は新聞記者になりたい。

 

小説は読むのも書くのも嫌いだったので、漠然と事実を取り上げる文章を書く仕事に就きたいと考えていました。

 

夢を諦めかけていた学生時代

将来は新聞記者になりたいと思っていた私ですが、高校1年生の冬、母親ががんで他界して以降、夢を追うよりも生計を立てることを求められるようになりました。左官職人を引退し、収入がない祖父との二人暮らしが始まったからです。

 

祖父も私も親族はほとんどいません。未来のことを考えると、私には静岡を出てメディアや出版業界で働くという選択肢はありませんでした。

 

新聞記者になりたいという夢を追うことを諦めた私ですが、就職ではなく大学進学という道を選びます。高校時代の担任が私や祖父に対し、「一生で得られる収入が増えるから」という理由で大学へ進むように説得してくれたからです。幸いなことに母親が遺した生命保険のお金で大学に行けました。「つぶしがきく」という理由で、文学部ではなく経営学部を選びます。

 

高校生そして大学生の私は、状況的に文章を書く仕事は諦めざるを得ません。でも、文章を書くことは辞めませんでした。

 

そして、学業やアルバイト、ロックバンド活動の合間にブログを書く程度ですが、毎日文章の執筆は続けていました。

 

今思うと、WEBライターになるにあたって、趣味程度でもブログを書き続けていたのがよかったのかもしれません。ライター業を始めようと考えてから、すぐに執筆になじむことができました。ブログがあるので、文章力を確認してもらうためのサンプル提出も簡単です。

 

怪我の功名で始まったライター生活

就職活動の真っ只中である2008年、リーマン・ショックに端を発する世界恐慌が起きます。日本経済も大打撃を受けたため、新卒採用を見送る企業は少なくありませんでした。

 

いま振り返ると自分の実力不足ですが、面接を受けた会社からお祈りの手紙が届くたび、「大学へ進学しなければ」「母親が死ななければ」「両親が離婚しなければ」と、「たられば」で自分の運命を呪っていたような気がします。

 

ようやく内定を得た会社は、ブラック企業や悪質な企業体質が時折話題になる営業会社でした。当時は中途採用しか行っていなかった上にリーマン・ショックの直後だったことも手伝って、この会社では新規開拓の営業マンは使い捨てという認識が一般的になっていたと思います。

 

思い返すと私の実力不足が原因なのですが、朝7時から夜10時まで働いたのに結果が出ず、毎日1時間上司の説教を受けていたためか、精神的に体調を崩してしまいました。

 

入社からわずか数ヶ月で退職し、職探しをしているときに出会ったのが某クラウドソーシング、そしてWEBライターの仕事です。

 

インターネット×ライターの無限の可能性

WEBライターの仕事は、私にとって天職かもしれないと感じました。前職で失敗したため対面営業が難しいと感じていた時期だったこともありますが、私は昔からインターネットにワクワクとした気持ちが湧き上がるからです。

 

話は前後しますが、中学1年生のときに我が家にパソコンがやってきました。ダイヤルアップ回線が主流ながら、ISDNが登場し、インターネットが一般層に認知され始めた時期です。

 

TVでは「ISDN、はじめちゃん♪」というCMが頻繁に流れていました。

 

ゲーム『実況パワフルプロ野球』シリーズを語るBBSに夜な夜な書き込みをしていた程度ですが、「インターネットって面白い」と感じながら育ちました。

 

インターネットの面白さですが、成人後も同じような衝撃を受けます。

 

クラウドソーシングも非常に面白く、毎日3時間仕事をして1,000~2,000円程度の収入が稼げました

 

職業訓練学校に通いながらの副業だったので金額は微々たるものでしたが、文章を書いてお金がもらえることにとても驚いた記憶があります。その後、私は冷凍食品の倉庫作業員として働きながら副業ライター生活を始めます。土日だけの副業で、40,000円くらいは稼げるようになりました。

 

副業ライターから独立開業

副業WEBライター生活は2010年の夏頃からスタートしましたが、2012年の夏になると、本業のサラリーマン(倉庫作業員)よりも稼げるくらいになりました。でも、自分の実力が付いてきたこともありますが、深夜まで記事を書く生活が続きます。寝不足のせいで体調を崩したりミスが増えたりと本業の業務に支障が出てしまい、どちらかを辞めなければならない状況になりました。

 

普通なら副業の時間を減らすかもしれません。でも、私は自分の夢を追いかけたいと思い、本業を辞めることにしました。

 

新聞記者とは程遠いですが、小学生の頃からの憧れていた文章を書く仕事ができる。

 

安定した暮らしよりも、ライターの夢を追いかける喜びをとってしまったわけです。

 

ライター業界の端から中心を目指す

独立開業後、自分の名前で書いた記事がインターネット上に掲載されたり、業界紙で新聞記者を経験できたりと、胸を張れるようなお仕事もさせていただきました。

 

クラウドソーシングで内職をしていた頃から考えると、私もライターと言えるくらいには文章を仕事にできるようになったと思います。

 

今回、フリーランスや起業家ならではのエピソードは割愛しましたが、またの機会にお話します。もしかしたら、miteco本誌で取り上げるタイミングもあるかもしれません。

 

よいライターを目指して今後も頑張ります。皆様ご声援のほどよろしくお願いします。