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静岡で起業した29歳の生活

静岡に住む若手起業家・ライターの行動、考えていることをつづる備忘録です。

Phaさんの『しないことリスト』(大和書房)を読みました

読書メモ

安藤悟です。昨日、Phaさんの『しないことリスト』(大和書房)を読みました。さすが、元・「日本一のニート」と言われるだけあって、「働きたくない」「何もしたくない」という内容が多かったです。書籍中、参考になることがたくさんありました。Phaさん自身も面白かった本はブログに書き留めているようですが、忘れないようにメモ書きしておこうと思います。

しないことリスト」を手に取った理由

いろいろな作業をし過ぎていて、何一つできていないように感じました。時間は有限で、みんなに等しく与えられているものです。

 

「ダイエットしたい」「遊びたい」など、いろいろと考えますが、たぶん順番にやらないと壊れます。最低限やらなきゃいけないこと、やらなくてもよさそうなことを振り分けしようと思い、「しないことリスト」を読むことにしました。

 

無能な働き者には責任がある仕事をさせるな

これは、割とよく聞く話です。私が初めて聞いたときは、「無能な働き者は射殺せよ」だったような気もします。ただ、「何もしない」という目線から読んでみると、少し違う意味のように感じました。

 

まずは、4カテゴリに振り分けてみます。

 

・有能な怠け者……指揮官にすべきだ

・有能な働き者……参謀にすべきだ

・無能な怠け者……連絡将校にすべきだ

・無能な働き者……責任がある仕事をさせるな

 

このうち、無能な働き者が一番厄介という話でした。「成果を上げるために仕事をしている」というよりも、「なんとなく働いていないと不安」という理由だけで、意味のない残業をしたり、余計な仕事をしたりして、事態を悪化させるということでした。多分、それだったら何もしないほうがいい。そういう意味だと思います。

 

「仕事を頑張るな」と言いたいわけではないです。多分、仕事に限った話ではないような気がします。

 

自分は無能な働き者だと感じました。「なんとなく、何かしなきゃ不安」という心理状態が常に働いているような気がするので、「今、すべきこと」を絞り込むほうがよい。そんなわけで、自分の生活のうち、「時間が空いている気がするから○○をしよう」と考えるのを止めることにしました。

 

1週間のうち、やらなきゃいけないこと

しないことリスト」には、他にも面白いネタがたくさんありました。たとえば、「コミュニティを閉じたものにしない」という話では、「いじめは閉じたコミュニティで起こる」「閉じているから異常な習慣に気付かなくなる」など。コミュニティは少しだけ外部に開いていると、そこに生きている人は気楽かもしれません。

 

ただ、今回はしなくていいことを増やすことが自分の中のテーマです。誰かを救う前に、自分を救うことが課題なので、話を戻すことにします。

 

働き者と怠け者の話を読んで、「時間が空いているから」という理由では成果が出ないなと感じました。かといって、スケジュールに組み込んで習慣にしようと思っても、簡単に続くものではないです。とくに、最近ボルダリングを始めたばかりで、他のことも足したら、両方やらなくなりそうな気がしました。

 

そこで、今さら当たり前かもしれませんが、「最低限すること」の週間スケジュールとタスクを作ることにしました。みんなやっていると思いますが、もう少しルーズさを足しています。月曜から金曜まででざっくりとやることを決めました。ちなみに、月曜から金曜までは120時間です。

 

・8時間睡眠×5日=40時間

・食事(昼・夜)1時間×10食=10時間

・入浴=2時間

ボルダリング2時間×週2回=4時間

・飲み会3時間×1回=3時間

 

休憩と遊びの時間を優先して計画しました。飲み会については仕事関連なのですが、ここでは遊びとします。大体これで60時間です。

 

60時間仕事をする必要があるのか

月曜から金曜までの120時間のうち、残った60時間は仕事ができます。というか、今まで月曜から金曜までで60時間くらい働いていたかもしれませんが、限られた時間で何をするか、どこでサボれるかを考えられる気がしました。

 

平均的なペースで仕事をすると、大体これくらいの作業量が積み上がるだろうと推測できるので、やらなきゃいけない仕事を考えてみます。すると、大体40時間程度しかないので、結構余暇があるように感じました。あとの20時間はきっと連絡系の庶務に取られたりするのだろうと思いますが、できるだけ効率よく立ち回りたいところです。

 

しないことの増やすって話をしたのにアレですが、マーケティングの勉強でもしようかな……時間が余ったら。

 

起業家になるまでの思い出を書いてみました

自己紹介

安藤悟です。先日、「私と文章」というエピソードを書きました。でも、周囲から見た私のイメージというと、ライターよりも社長のほうが近いかもしれません。今回も堅く、ややもすると重たいテーマになってしまいますが、「私と起業」について書きたいと思います。

 

起業を志したきっかけ

先日もお話しましたが、我が家は母子家庭でした。小学生当時、母は700円にも満たない時給のコンビニ店員だったのでゲームや漫画を満足に買ってもらえずに過ごしたことを覚えています。時々買ってもらえるゲームはたいていワゴンセールで売っているような中古ソフトでした。じつは、価格が安いゲームを買っていたことが起業を志したきっかけです。

 

子供から人気があるゲームソフトというと、『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』などの王道RPGではないでしょうか。でも、私が買い与えられていたのは『ザ・コンビニ』や『ダービースタリオン』などの経営・育成シミュレーション。マニアックな大人以外からは人気が高いと言えない作品です。そのため、1,000円とか2,000円くらいの破格でソフトを買うことができました。

 

私自身、シミュレーションゲームは嫌いではありませんでした。

 

むしろ、プレイするたびに、「社長になったらお金がたくさん手に入るんだな」と想像しながら楽しんでいた記憶があります。

 

当時は見当もつかないような夢でした。でも、お金が入るかどうかはともかくとして、社長になるだけなら簡単だということを15年後に学びます。

ビジネスに関心を持った中学時代

我が家にお金がないことは中学時代の私にも影響を与えました。相変わらずゲームは頻繁に購入できなかったのですが、ひたすら『実況パワフルプロ野球9』をプレイする日々が続いていたような記憶があります。

 

もうひとつハマったものがありました。それが読書です。中学生の私は筒井康隆作品と一部のライトノベル、そしてPHP文庫から出ている実用書にのめりこんでいました。PHP文庫を選んだ理由は消去法ですが、「マンガより楽しめる時間が長く、小説のように想像力を必要しない」そんな本を選んでいたからです。

 

たとえば、ブックオフに行くと、人気マンガは200~300円で売られています。でも、15~20分しか楽しめません。一方、PHP文庫の書籍は100円で2時間くらい楽しむことができます。時給という発想はありませんでしたが、安上がりな方法を選んだ結果です。今にして思うと効率的で、かわいげがない気がします。

 

「人と違うことを考え方をしなさい」「成功するイメージを強く持ちなさい」など、良くも悪くも、PHP文庫の書籍は私の人格形成に大きな影響を与えたと思います。

 

セブンイレブンで地域No.1になった高校時代

高校生になると、私はすぐにアルバイトを始めました。好きな仕事を見つけるために転々としていましたが、引越しの作業員や家庭教師のテレフォンアポインター、ラーメン屋、コンビニ店員など、高校時代だけでいろいろ働いたと思います。その中で一番ハマったのがコンビニ店員(セブンイレブン)です。

 

私が働いていたセブンイレブンは直営店だったこともあったからか、「最低限、店舗の予約ノルマを達成しよう」という店長・副店長の思惑がありました。でも、アルバイトの従業員には強要できず、大半のアルバイトの士気も低かったです。私はビジネス思考が根付いていたこともあってか、ひたすらクリスマスケーキや恵方巻きの予約を獲得し続けていました。

 

方法は簡単です。私は週4日、時間にすると30時間くらい働いていたので、顔なじみのお客さんが増えます。彼らに対して「クリスマスシーズンですけど、ケーキのアテってありますか?」と尋ね、予約を獲得していただけです。恵方巻きは目新しさがあったので、「恵方巻きって知ってます?」と話すだけで予約が取れていたような気がします。

 

恵方巻きは70本くらいに予約してもらえたので、私は地元エリアのセブンイレブンで予約No.1になりました。ちなみに、セブンイレブンではエリアごとに新聞を発行しているのですが、私が予約No.1という話を取り上げてもらえました。

 

高校時代は怖いもの知らずでお客さんに声をかけていたので、いま思うと当時のほうがコミュニケーション能力が高かったのかもしれません。

 

サラリーマンでも仕事を楽しむべきと感じた社会人時代

社会人生活が始まってからも起業への憧れは変わりませんでした。いえ、サラリーマン生活の飲み会や定時出勤はきらいだったので、早く起業したいという想いは増す一方だったかもしれません。

 

幸か不幸か何度目かの就職で静岡県内の中堅企業に拾われた私は、倉庫作業員としてほかの社員とは違った裁量を与えられました。バラバラだった倉庫作業員たちの休憩時間を作り、効率的な荷受やピッキングのシステムを考えているうちに、「勝手に早朝出勤したり、少し長く休憩したりしても許される人」というポジションになったのです。

 

自慢話のように感じるかもしれません。でも、単に気分屋で、自分が思った形に会社をコントロールしたいだけなのです。結果的に会社経営者になったから言えることですが、これくらいのバイタリティがなければ成功できないと思っています。

 

「会社を作る」「会社を変える」くらいの熱意が無いと、仕事は楽しめないです。でも、仕事を楽しめるようになった瞬間、目に見えるすべてがポジティブで、楽しいものに変わります。それは、社長でもサラリーマンでも同じです。

 

社会人人生のうち、一番裁量を与えてくれたこの会社は、一番高いモチベーションで働いていました。当たり前ですが、楽しいほうが仕事も続き、業務を改善するためのアイディアやよりよい仕事をするための発見も増えていきます。

 

もっとも、この会社で働いていた期間は1年程度なので、とっくにライター生活(2016年8月時点で4年半)のほうが長いです。

 

株式会社エストリンクスの記事作成事業は、インバウンドマーケティングというか、BtoBなのでSEO対策を十分にした結果、一定の成功ができたと思います。でも、これから始まるmitecoは未経験のことばかりです。初めての楽しさと不安が詰まっていますが、どんな発見やアイディアが待っているのでしょうか。

 

地元に根を張って、愛されるメディアを作るのは簡単ではないはずです。でも、起業した当時の初心を忘れず、ガムシャラに、勉強しながら頑張れば、成功できるのではないかと信じてライター活動をしようと思います。

文章が好きになった理由を振り返ってみました

自己紹介

安藤悟です。WEB編集プロダクションの株式会社エストリンクスの代表取締役社長をするかたわら、WEBマガジン「miteco」でライター兼編集者をしています。この仕事を始めるにあたって、文章を書くリハビリのつもりで1年半ぶりぐらいにブログを再開しました。自己紹介がてら、「私と文章」について書いてみたいと思います。

 

文章が好きになったきっかけ

小学生の頃の私は、学校の作文を必ず白紙で提出するほど、文章を書くことが嫌いな子供でした。母親は「感受性が乏しい子」と心配したらしく、白紙の作文を出したことについて私を説教しました。そして一冊のノートを私に差し出します。

 

「毎日1行でもいいから日記を書きなさい。」

 

当時小学5年生の私はPlay Stationのゲーム『ザ・コンビニ』や『ダービースタリオン』に熱中する、かわいくない子供でした。ただ、毎日書かないと母親に怒られるので、仕方なく日記を書き始めます。

 

我が家は母子家庭だったので母親は毎日フルタイムで働いていたのですが、仕事が終わって帰って来るなり、私の日記を読んでコメントや添削をしてくれました。

 

親子で会話する時間は少なかったので、毎日の日記は親子の交換日記のような役目を果たしていたかもしれません。

 

不思議なもので1,2週間も経つと、私も少しずつ文章が書けるようになります。せっかくなら母親に面白い文章を読ませようと思い、新聞の切り抜きを貼ってコラムを書いたり、漫画を読んだ感想を書いたりするようになりました。

 

将来は新聞記者になりたい。

 

小説は読むのも書くのも嫌いだったので、漠然と事実を取り上げる文章を書く仕事に就きたいと考えていました。

 

夢を諦めかけていた学生時代

将来は新聞記者になりたいと思っていた私ですが、高校1年生の冬、母親ががんで他界して以降、夢を追うよりも生計を立てることを求められるようになりました。左官職人を引退し、収入がない祖父との二人暮らしが始まったからです。

 

祖父も私も親族はほとんどいません。未来のことを考えると、私には静岡を出てメディアや出版業界で働くという選択肢はありませんでした。

 

新聞記者になりたいという夢を追うことを諦めた私ですが、就職ではなく大学進学という道を選びます。高校時代の担任が私や祖父に対し、「一生で得られる収入が増えるから」という理由で大学へ進むように説得してくれたからです。幸いなことに母親が遺した生命保険のお金で大学に行けました。「つぶしがきく」という理由で、文学部ではなく経営学部を選びます。

 

高校生そして大学生の私は、状況的に文章を書く仕事は諦めざるを得ません。でも、文章を書くことは辞めませんでした。

 

そして、学業やアルバイト、ロックバンド活動の合間にブログを書く程度ですが、毎日文章の執筆は続けていました。

 

今思うと、WEBライターになるにあたって、趣味程度でもブログを書き続けていたのがよかったのかもしれません。ライター業を始めようと考えてから、すぐに執筆になじむことができました。ブログがあるので、文章力を確認してもらうためのサンプル提出も簡単です。

 

怪我の功名で始まったライター生活

就職活動の真っ只中である2008年、リーマン・ショックに端を発する世界恐慌が起きます。日本経済も大打撃を受けたため、新卒採用を見送る企業は少なくありませんでした。

 

いま振り返ると自分の実力不足ですが、面接を受けた会社からお祈りの手紙が届くたび、「大学へ進学しなければ」「母親が死ななければ」「両親が離婚しなければ」と、「たられば」で自分の運命を呪っていたような気がします。

 

ようやく内定を得た会社は、ブラック企業や悪質な企業体質が時折話題になる営業会社でした。当時は中途採用しか行っていなかった上にリーマン・ショックの直後だったことも手伝って、この会社では新規開拓の営業マンは使い捨てという認識が一般的になっていたと思います。

 

思い返すと私の実力不足が原因なのですが、朝7時から夜10時まで働いたのに結果が出ず、毎日1時間上司の説教を受けていたためか、精神的に体調を崩してしまいました。

 

入社からわずか数ヶ月で退職し、職探しをしているときに出会ったのが某クラウドソーシング、そしてWEBライターの仕事です。

 

インターネット×ライターの無限の可能性

WEBライターの仕事は、私にとって天職かもしれないと感じました。前職で失敗したため対面営業が難しいと感じていた時期だったこともありますが、私は昔からインターネットにワクワクとした気持ちが湧き上がるからです。

 

話は前後しますが、中学1年生のときに我が家にパソコンがやってきました。ダイヤルアップ回線が主流ながら、ISDNが登場し、インターネットが一般層に認知され始めた時期です。

 

TVでは「ISDN、はじめちゃん♪」というCMが頻繁に流れていました。

 

ゲーム『実況パワフルプロ野球』シリーズを語るBBSに夜な夜な書き込みをしていた程度ですが、「インターネットって面白い」と感じながら育ちました。

 

インターネットの面白さですが、成人後も同じような衝撃を受けます。

 

クラウドソーシングも非常に面白く、毎日3時間仕事をして1,000~2,000円程度の収入が稼げました

 

職業訓練学校に通いながらの副業だったので金額は微々たるものでしたが、文章を書いてお金がもらえることにとても驚いた記憶があります。その後、私は冷凍食品の倉庫作業員として働きながら副業ライター生活を始めます。土日だけの副業で、40,000円くらいは稼げるようになりました。

 

副業ライターから独立開業

副業WEBライター生活は2010年の夏頃からスタートしましたが、2012年の夏になると、本業のサラリーマン(倉庫作業員)よりも稼げるくらいになりました。でも、自分の実力が付いてきたこともありますが、深夜まで記事を書く生活が続きます。寝不足のせいで体調を崩したりミスが増えたりと本業の業務に支障が出てしまい、どちらかを辞めなければならない状況になりました。

 

普通なら副業の時間を減らすかもしれません。でも、私は自分の夢を追いかけたいと思い、本業を辞めることにしました。

 

新聞記者とは程遠いですが、小学生の頃からの憧れていた文章を書く仕事ができる。

 

安定した暮らしよりも、ライターの夢を追いかける喜びをとってしまったわけです。

 

ライター業界の端から中心を目指す

独立開業後、自分の名前で書いた記事がインターネット上に掲載されたり、業界紙で新聞記者を経験できたりと、胸を張れるようなお仕事もさせていただきました。

 

クラウドソーシングで内職をしていた頃から考えると、私もライターと言えるくらいには文章を仕事にできるようになったと思います。

 

今回、フリーランスや起業家ならではのエピソードは割愛しましたが、またの機会にお話します。もしかしたら、miteco本誌で取り上げるタイミングもあるかもしれません。

 

よいライターを目指して今後も頑張ります。皆様ご声援のほどよろしくお願いします。